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V6メンバーによる互いの一言人物評(@オリコン誌・2002年6月17日号)に見る、グループ内での各人の「流儀」と「距離感」
 読むにつけ面白くて、ついにページを設けるところにまで発展。(笑) 誌上では、各人のページにその人へのコメントが集まっているという形ですが、ここでは、各人ごとに他メンバーに向けて発せられたコメントを取りまとめ、それぞれの評し方の特徴から、その人の意識を探ってみようという形をとってみました。くだくだと分析っぽいことを書いていますが、学術理論的裏づけは全くありませんので、そこのところご承知おきください。あくまでも個人的妄言です。つれづれに、思索のお供にでもして頂けましたら幸いです。

 各人の人物評は、オリコン誌・2002年6月17日号より抜粋。(はしょって抜き書いている箇所も多し)

file.1 メンバーへの家族的愛情が等しく表出
坂本 昌行 評して曰く 長野 博を 「愛しがいがある」
井ノ原 快彦を 「友達感覚で気軽につきあえる」
森田 剛を 「人なつこくてカワイイ」
三宅 健を 「犬みたい。ペットみたい」
岡田 准一を 「意外と冷たい、でもその冷たさがいい」
 総じて、各メンバーの総体的パーソナリティーを無難に(ファンの持つイメージとそう違わない方向で)評しているという印象。(剛・准に対しては、やや、近しい者からの視点が入っているかな。) 普通に「リーダーっぽい」意識の表れ方だと思います。ちょっと特徴的なのは、全体的に、「女の子を評する時のような言い回し」であること。これ、「兄弟型は対人関係のパターンに影響する」という理論とつながっているような気がして、興味深いです。男兄弟の中で育ってこられた坂本さん、潜在意識の中に、「内=男、外(外部にいる者)=女」という線引きがあるのかもしれません。そう考えると、メンバーを「外部の者」として位置付けていることにもなり、いくら馴染んだ存在であろうともそこは仕事上のことと割り切っているという、ある種「プロ意識」も見えるような気もします。…あるいは逆に、「既に内側にいる女=母」的存在として、メンバーを愛し、頼りにしているということなのか。そのどちらかでしょうね。いずれにせよ、「男(自分)に対しての、女」という、愛すべきものとしての認識で、メンバーの存在を捉えているのだろうということは見て取れます。メンバーへ向ける坂本さんの眼差しの根底にあるのは「愛情」なのだというこのような推測は、井ノ原さんから坂本さんへのコメントによっても裏付けられると思います。↓井ノ原さんの稿参照ください。

file.2 ピンポイントで全体のバランスを補填、あくまでも仕事人
長野 博 評して曰く 坂本 昌行を 「料理を作らせたらいちばんうまい」
井ノ原 快彦を 「いちばんわかりやすい。友達にも会ったことがある」
森田 剛を 「私生活が見えない」
三宅 健を 「答えが見つかるまですごく悩む。意地っ張り」
岡田 准一を 「話しかけてもいい返事がない時は、余裕がない時」
 なにげに、すごく特徴がある評し方をしています、ヒロシさん。内面的パーソナリティーに具体的に触れているのは、健ちゃんに対してだけ。そしてその健ちゃんへの評も含めて、着目点はものすごくピンポイント、あるいは漠然としている。各メンバーの「全体像」をつかむには程遠い評し方をしています。しかしこれはおそらく、ヒロシさんらしい、グループ全体に目を配った上でのことなのだろうと思われます。つまり、取材者側から「メンバーそれぞれについて一言お願いします」と言われた時、普通は「○○○○(主に形容詞)な人」といった風な総体的なコメントをするでしょうが、他の誰かがそうするだろうことを見越した上で、「他のメンバーとかぶらない答え」を準備する、それが自分の務めなのだ、という意識をお持ちなのではないでしょうか。(インタビュー形式が、一人ずつだったのか、全員一緒の場で行われたのか、わかりませんが。) あるいは、他メンバーからのヒロシさんへのコメントと併せ読むと、ヒロシさんが他メンバーの内面的パーソナリティーにほとんど触れていないのと同時に、他メンバーも、ヒロシさんの内面的といえる部分にあまり触れていないという状況が見えてきます。「俺も立ち入らないから、皆も立ち入ってくれるな」という協定が、暗に成立してでもいるかのような。これまた興味深い。こんなことを思い起こさせられるのも、自分(筆者)の中でヒロシさんが、「見えなセンチュリー(6人の中で、素(す)が見えない3人)」の筆頭者であるからなのです。そういう、仕事場では自分を晒さない「堅さ」が、今回のヒロシさんの評しぶりには感じられると思います。

file.3 内部にのみ向けられた、包み隠さぬ明快さ
井ノ原 快彦 評して曰く 坂本 昌行を 「愛情深い。人の心配ばかりしてる」
長野 博を 「マイペースであせらずこなす。あとは、グルメ」
森田 剛を 「金八先生のクラスでいちばん後ろの席にいる奴」
三宅 健を 「自分でも自分のことがわかっていないのでは。優しい子」
岡田 准一を 「最近わかってきたけど、余裕がない。クール」
 うって変わって、各人に対して総体的キャラをつかみやすいコメントを付けているのがこちら、井ノ原さん。個々をよく見ているのだな〜というのが存分にわかる、この明確な評しぶりには、ちょっと感動すら覚えました。ズバズバと風通しの良い、快刀乱麻な感じ、これそのまま、井ノ原さんご自身の良しとする行動原理が表出しているのではないでしょうか。メンバーから井ノ原さんに向けてのコメントにも、「明快」な人物である由がそこここに述べられていますねえ。でも、井ノ原さんのそういう面は、メンバー(あるいは、場合によってはファン)という「内部」に向けての場合に限り、表出されるのかなーなんて、思ってみたり。…だって、「わかりやすい」とよく評されている割には、TVの映像から受ける印象には、そういう素養があまり感じられないような気がするんですよ。(他のメディアではどうなんだろう…。雑誌…筆者はつぶさにチェックしてるわけではないので判断材料にすることはできません。ごめんなさい。ラジオ…「オレクス」の「WAになってしゃべろう」のコーナーでは、結構、自分の考えとか、率直にしゃべってたかなあ??でもこれも、メンバーだけでしゃべるコーナーだったから、内部に向いてたと言えば言えないこともない。) 井ノ原さんの最も一般的なパブリックイメージって、「いい人そう」っていうのだと思うんですよ。でも例えば、メンバーが評して言うところのイノの「わかりやすさ」っていうのは、喜怒哀楽とりまぜて、何をどう思っているのかがあまり隠し立てされない、っていうことでしょう?おそらく。TVを見ている一般視聴者(ファンでない人)には、そういう素養は伝わってはいないと思う。極端に言えば、「いつもニコニコしてる楽しい兄ちゃん」ぐらいな感じなんじゃないかなー。この今回の井ノ原さんの評しぶりには、そういうところ(外部向けというか、メディア向けというか)では見られない、「内部に対して見せている、井ノ原快彦の明快さ」が、垣間見えるような感じがします。そういう意味でちょっと貴重かも。内部に対しては、ほんとに率直でズバズバなのかもね。(ちなみにイノも、筆者にとっては「見えなセンチュリー」です。メディアでの井ノ原さんは、あまり、素(す)が見えるようには思われないです)

file.4 的確な表現と危機回避の両立センス
森田 剛 評して曰く 坂本 昌行を 「サッカーのポジションに例えると、キーパー」
長野 博を 「サッカーのポジションに例えると、ディフェンス」
井ノ原 快彦を 「サッカーのポジションに例えると、フォワード」
三宅 健を 「サッカーのポジションに例えると、ベンチ入り(笑)」
岡田 准一を 「サッカーのポジションに例えると、ディフェンス」
 これはまた、いろいろな意味で、ものすごく剛つんらしいやり方だと思います。一言でまとめれば、「サッカーという自分の好きなものを引き合いに出して例えることにより、表面的に表出する”森田剛らしさ”に目を向けさせつつ、その実、メンバーのパーソナリティーへの具体的言及の手間とそこに孕まれる危険性を回避している」ということのように思われます(一言じゃなくなっちまった…)。つまりですね、誰かを評するという行為は、「その人をどう考えているか」ということのみならず、「その人をどれくらい見ているか」「その人にどれくらいの距離感を持っているか(感じているか)」ということが浮き彫りになるわけです。それは具体的な言葉で表現すればするほど、如実に表れます。手間をかけて言葉を考えて人を評して、それによって自分の意識までもさらすことになる、そういう、あえて手間と危険を背負い込むようなやり方を、おそらく避けたということなのでしょう。そこまで理屈づけて考えてのことではなかったかもしれませんが、本能的にそうしたのだったら、尚更すごいかも。筋金入りの「見えなセンチュリー」なのかも、という認識すら抱かせられます。しかもこのサッカーポジションへの例えぶり、非常に簡明にして的確(この各人のポジショニングに、異論は差し挟まれないでしょう、おそらく)。さらには、そうして自分の意識をさらすのを避けつつも、チラリとだけは見せてくれているという(おわかりでしょうが、(笑)のついている御仁の部分です)、この、ツボを心得た自分の見せ方。ある部分を隠しつつもきっちりと美しく見せる森田剛的スタイル、そのやり方の賢さが存分に見て取れると思います。ただしこの「見えなセンチュリー」ぶりは、あくまでも、外部(メディア等)向けのものなのかもしれません、メンバーからの剛つん評を読むと。内部においては、「カワイイ」「正真正銘のバカ」「お茶目・見たまんま」な剛つんなのかも。

file.5 無防備さは確信犯なのか、否か
三宅 健 評して曰く 坂本 昌行を 「常に動いてる。何でもソツなくこなす」
長野 博を 「食いしん坊です」
井ノ原 快彦を 「いつも調子がいい。お調子者」
森田 剛を 「正真正銘のバカです、いい意味のバカ」
岡田 准一を 「何考えてるのかわからない」
 対して三宅さんの評しぶりからは、各メンバーへの距離感がかなり丸わかりな感じがします。あえて一人ずつ言及するのは避けますが、「行動を見ているのか、それとも内面を見ているのか」「マジコメントか、けなしコメントか」というあたりから判断すると、わかりやすいかもしれません(と、筆者は考えました)。そしてそこから得られるイメージは、今まで自分(ファン側の人間)が考えていた三宅さん像を、見事なほど、裏切りませんでした。というか、こうして素直に正直に、そのままな(と思われる)答え方をしているというその時点で、もう十分、三宅さんのパブリックイメージ通りの展開ですよね。この「非・策略家」ぶりに、またも筆者は、安心させられてしまったのでした。ただし、拙文「なぜ私は三宅健によって癒されるのか」でも述べましたように、三宅さんがこのように「そのまま」でいられるのは、おそらくひとえに他メンバーの存在から得られる安心感があるからこそだと思われ(他メンバーからの三宅さんへのコメントを見ると、三宅さんがいかに他メンバーからストレートに好意を受けているかが推察できます)、その点で言うと、そんなメンバーからの好意を自覚しているのだとすれば、単に無防備な気質であるというだけではなく、「そんなふうにしていても大丈夫なんだ」という言わば後ろ盾を手に入れている状態、つまり、ある種確信犯的な側面も考えられなくもありません。ちょっと判断に迷うところではあります。

file.6 各人の内部的姿をさらりと晒す、飾りなき視点
岡田 准一 評して曰く 坂本 昌行を 「考えてる。レコーディングではナスは食べない」
長野 博を 「物持ちがいい。歌も食べ物も凝る」
井ノ原 快彦を 「いろいろ凝る。家では曲作りとかしてる」
森田 剛を 「お茶目。見たまんまの人だと思う」
三宅 健を 「生真面目で、独特」
 この方も、わりと自分が思っている通りのことを、飾らずに言葉にしているようにお見受けしました。おそらく、普段から「この人はこういう人」などと考えているわけでは決してなく(むしろほとんど考えたことは無いのではと思う)、この取材でインタビューを受けたその場で、自分なりにその人の普段の姿を思い浮かべ、そして思い浮かんだことをそのまま言葉にして表出させたのではないかと思います。全体的に、各人のパーソナリティーをつかみやすいという点では坂本さんや井ノ原さんと同じ方向性の評し方ですが、特徴的なのは、言うなれば「裏を行ってる」とでもいうような捉え方であること。何の「裏」かというと、パブリックイメージあるいは一般的(熱心なファンによらない)人物評の「裏」です。顕著なのはイノ・剛・健ちゃんへのコメントかな。勿論それぞれのファンでもあれば、イノが曲作り等に凝っていたり剛つんがお茶目だったり健ちゃんが生真面目だったりすることは既知の事実ですが、たぶん、今まであまりV6のことを知らなかった人(中途半端に知っている人)がこの准ちゃんの人物評を読んだら、結構、各人に対して新鮮な印象を抱くのではないかと思うのです。もし筆者の推測通りこれが「素」で考えての評し方なのだとすれば、この准ちゃんの評しぶりは、メンバーの普段の姿が、事実パブリックイメージの裏をいっているのだということの証明になるかも。(あくまで、准ちゃんが「素」でコメントを述べているということを前提とした場合ですが) さら〜りと自然に、ふだん外に見えてない部分を外界に晒す、ある意味、核弾頭かもしれません。
 …いやはや(^w^;)今回のオリコン誌の人物評のみからこじつけて書いてるから、また別な場での各人のエピソードなどを考え合わせたりなんかした日には、辻褄の合わない点がわんさか出てくるだろうな〜(大汗) 重ねて申し上げますが、あくまでも個人的妄言としてご承知おきくださいませ<(_ _)>
(文責:あゆこ  2002年6月)

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