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『炎立つ』
2014年9月20日(土) at 岩手県民会館
※観劇直後に日記に書いた記述をメインに、あとから考えたことなどをところどころに付け足しつつ構成しております。後日の付け足し部分には「後日付記:」と頭に付けます。
日記に書いた時点ではパンフ等読んでいないので「清衡」「家衡」と書いてますが、正しい役名としては「キヨヒラ」「イエヒラ」。
※ツイッターからの再録は「ツイ:」と頭に付けます。
17:00開場、17:30開演、18:40〜19:00ぐらいに休憩20分、20:10ぐらいに終演(だったと思う)
席は1階の真ん中へんの列と席番。大変見やすかった。パンフは開場直後、ほんのちょっと並んだけどすぐ買えた。
ツイ:開演前に席に座ってたら、開演時間の直前、どこからか男の人が何かしゃべっている声が聞こえてきて、内容は全然わかんなかったけど聞くともなく聞いてるうちに愛之助さんの声じゃないかと思えてきて、思わずあちこち見回した(笑)他のお客さん達もきょろきょろしてた気がする(笑)
ツイ:もしかして開演前に愛之助さんが訓示?みたいな?今日のお言葉みたいなのをステージ裏でキャストの皆さんやスタッフの皆さんにお話しされてたのかも〜と思いました。もしそうならきっと毎回あったんだろうね(^o^)
後日付記:本当に愛之助さんのお声だったのかどうかは定かではないです。。ご了承くださいませ<(_
_)>でも私の中ではそうだったような気がしてます。
ツイ:盛岡公演はトミさん(※「ほっとけない魔女たち」ゲスト出演の中尾ミエさんの役名)のようなかっこよいマダム達がけっこう来てて、きっと地元の人たち(愛之助さんファンも多かろう)が多く観に来てるんだろうなーと思いました。
後日付記:マダム達、その旦那さまと思しき殿方達など、地方公演ならでは、また、座長が愛之助さんである作品ならではというお客さんも多かったなと思います。そういう舞台に出られたことはきっとすごい財産ですね〜三宅さん。こないだ剛つんも「次は真ん中じゃないところに立って舞台上がどう見えるのかを見てみたい」みたいなこと言ってたよね(たぶん何かの雑誌で)。ぜひぜひ!という思いがいたします(^w^)
白の衣装の4人の女性たち、日の本の旗を思わせる赤い丸(背景)、赤い血、それと、最後の金色(こんじき)。この3つの色が私はすごく印象深かったです。
1つずつ書きます。白の衣装の4人の女性たち、実にいろいろな役割を担ってて、観ててすごく面白かった。語り手であり、歌い手であり、踊り手であり、劇中の人物にも扮するし(下々の者?とか)、他にも布持ち、旗持ち、道具持ち。。実に多様な役割を担ってて、すごかったです。面白い。ほぼずっと出ずっぱりで、常に姿を見せながらあれもこれもやってのけるという、言わば「見せる収納」みたいな(妙な例えですみません(^w^;))特殊効果とか人海戦術とかを使うんじゃなくてこの女性たちが全部やるという潔さというか、私は今までにそういう舞台観たことなかったのですごく印象に残ったし面白かったです。他の登場人物たちも、セリフも言いつつナレーションも各自で随時語ってましたよね。面白かった。私にとっては目新しかったです。
後日付記:4人の彼女たちの役割は「コロス」という呼称があるんですね。調べてみたら古代ギリシャ時代から演劇の中で用いられていた役割とのこと。初めて知ったー。調べる前にパンフで読んだ時は「コロスっていう役名なのか。。おそろしい。。」と思ってしまったけど(^w^;)「殺す」ではなく、古代ギリシャ語なのですね。英語で言うところの「chorus」。合唱隊の「コーラス」ね。英和辞典引くと「合唱歌舞団」とか出てますね。成程〜。
「赤」も印象に残った。戦で流れる血、脈々と受け継がれていく血、その両方の赤。なんかこれから日の丸の旗見る時、そういう血の色としての赤に見えてしまいそうだなと思いました。清衡はなんか不思議な人っていうか、能動的なことは特に何もしてない(と見える)のに、気づくと自分の足の下に屍が積み重なってる。。みたいな、そういう「役割」?劇中の言葉でいえばそういう「運命(さだめ=定め))」の人なのかなと思った。「炎立つ」っていうか「炎立たせられた」みたいな。。うーんでもそれは私の受け取り方が偏ってるのかも。再度観たら違ったふうに見えるのかもしれない。
楽土(平らかな世)とか、血を流さずに平定するとか、そこらへんは日曜8時の軍師とリンクしまくりましたね。そういえば家衡が出羽で西へ東へ大活躍みたいなくだりも、「ここにも天才軍師がいるじゃないの!」と思いながら観てたけど、そのあとすぐに清衡が「家衡1人の策ではないのでしょう」とばっさり斬ってて、ちょっと笑った(笑)
後日付記:パンフ読んでみたら、キヨヒラ像についてはおおむね合ってるのかも。でもやっぱり、何度か観たら違ったふうに見えてくるような気もする。
最後の背景の金色(こんじき)、すごいきれいだった。安寧の色って感じだった。思えば家衡もああいう色の服を最初から着てたじゃないの。共にこの金色に合流する道はなかったのかね。。とつい思ってしまいました。
後日付記:そしてあとから考えると、もしかしたら観る者にそのように想起させるために、イエヒラにあの色の服を着せたのかな…という気もします。想像ですけどね。
他、諸々の感想。私は東北出身、東北住まいってこともあって、出羽がこっち側、陸奥がここらへん、っていうのとかが感覚としてわかるので、そこは地の利というか、ちょっと得してるかもと思いました。「みちのく(道の奥)」っていうのも別に蔑称と思ったことなかったな。。むしろ「奥ゆかしい」ぐらいのポジティブワードとして捉えてましたよ(そういうとこは東北人にしては奥ゆかしくない私(-w-))劇中で「蝦夷(えみし)」という蔑称をむしろ誇りとして。。みたいに言われてるのを聞いて、ああなんかちょっとわかるかもと思った。基本、控えめな感じだけど、いったん肝が据われば強いよ。っていう感じの強さがあるかもです。
あと今すごく平泉行きたい。近々行きたい。この作品ってファンタジーももちろん入ってるだろうけど基本、史実が元になってる?のかな?清衡・基衡・秀衡はわかるけど家衡って実在の人物?(そこからか(^w^;))そのあたりものすごくあいまいなので、あらためて勉強したい所存。
後日付記:前九年の役・後三年の役ってのがこの物語の「戦」なのか。パンフ読んで知った。するとイエヒラも実在の人物なのね。前九年の役でツネキヨ様が破れてユウ様が出羽方に娶られてイエヒラが生まれ、後三年の役がパンフの記述で言うところの『壮大なる兄弟喧嘩』であるってことね。
それにしても「壮大なる兄弟喧嘩」って(-w-;)戦争ってだいたいにしてそういうしょうもない原因だったりするのかもしれないけどね。ナウシカのトルメキア戦役とかまさに兄弟の憎み合いっていう原因だったしね(フィクションだけど)巻き込まれる民衆はたまったもんじゃないよね。ちょうど観劇前にNHKのヒストリアでそんな感じの回を見てたこともあって(関ヶ原の戦いの時の民衆の様子)、戦争ってものは究極の理不尽だなとあらためて思いますね。
後日付記:女性の登場人物たちにまつわる諸々について。ユウ様とキリ、さらにキリがお腹に宿した子、(さらにその後、イエヒラも…)これらの死を越えて、その後の人生をまた歩んでいくキヨヒラの感じに、私は何となくファーストガンダムのアムロ・レイを思い出してました。死んだ理由や関係性はちょっと違うけど、周りの人たちの死が自分の後ろに(過去に)流れていく感じというか。。その悲しみに囚われてとどまり続けるわけじゃなくて、悲しみは悲しみとして深く刻まれると同時に、前に進んでいく感じというか。ヒーロー的じゃなくて、おろおろして、足掻き、もがく主人公という点でも似てる。←結局キヨヒラについての語りになってますが(^w^;)女性たち、守るべき人たちの死の後に成り立っているキヨヒラのその後というのを見て、何となくそんなふうに思いました。
あと、「時の裂け目」というキーワードがあったけど、この「裂け目」というイメージは、「母」というものを暗に表していたのではないかと。ユウ様のように運命に手酷く虐げられた母の「傷」としての裂け目でもあり、この世に生命を産み出すその出口としての裂け目でもあり。(このイメージというか例え自体は昔からある定番的なものですよね。B'zの詞の中にもあります。MR.
ROLLING THUNDERという曲。愛之助さんはご存知かもしれないですね) この母たるイメージの「裂け目」を契機としてイエヒラが死んでしまうというのは、皮肉というか非情というか、何ともやりきれない思いがしますね。イエヒラって、役の造形的には悪役だったと思うけど、抗えない運命に翻弄された1人であり、その点ではキヨヒラと全く同じだったのではないかなと。命が尽きて倒れた後だったか、その辺ちょっと記憶があいまいであれなんですけど、母であるユウ様(すでに亡くなられている)と一緒に階段を上っていく…みたいなシーンありましたよね。ありましたか?ありましたっけ(^w^;;)もしかして私の中で捏造されてるんだろうか。その時のイエヒラの様子が、アラハバキに魂を売って獣になったイエヒラじゃなくて、憑き物がすっかり落ちたようなただの少年みたいな佇まいだった…っていう記憶が私の頭の中にあるんですがこれは幻か?もう1回ぐらい観られれば確かめられたんだけどな〜無念。ともかくイエヒラは単に悪役だったわけではなく、むしろ共感や憐憫を誘う存在だったなと思いました。「母」との関係性において。ううっ(;w;)つらいね。個人的に私も、最近、親との関係とかちょっと悩むことがあり、でもどんなにひどくすれ違っても親子は親子、それは変わらないんだな(いい意味でも悪い意味でも)という結論に達していたので、イエヒラと母の関係を見て、だいぶ刺さるものがありました。感情移入という意味ではキヨヒラよりもイエヒラだったな。私は。
後日付記:アラハバキについて。運命を変えることを願うイエヒラに、運命を変えるには全てのもの(母の記憶とかも)を失い、獣にならなければならぬ…みたいなことを言って全てを奪ったのに、後で「お前はケダモノじゃああ〜!!」みたいに蔑んでたので、「だってそれはあんたがそう言ったからそうなったんでしょ〜!!(・▽・;)」と驚きを隠せない私でしたが、観劇後にパンフ読んで、アラハバキは実体があるものではなく(まあ「神」という時点でそうなんだけど)、人の心の中に宿る幻のようなものだとわかって、ああーそれなら納得。と思いました。人の心はことほどさように矛盾に満ちたものであると。常に迷い揺れていて、一貫性なんかあったもんじゃないのだということがとてもすっきりと腑に落ちました。
ちなみに宮城で「アラバキ」というロックフェスが毎年行われているのですが、これ「アラハバキ」から取ってるんだねぇ。というか「アラバキとアラハバキは同義」だそうです。アラハバキ神社がある多賀城というところで第1回が開催されたので、このフェス名になったとか。そうだったのかー。
「アラハバキ」について調べてみると面白いですね。こちらとかかなり興味深い。
キャストの皆さんについて。愛之助さんはたたずまいが美しいなあ。最初のほうで立て膝ついて控えてるみたいな姿勢の時、背骨じゃなくてなんか別なものが芯に入ってるんじゃないかと思うような美しさがありました(どういう。。)声もいいよね。さすが。
三宅さんに関しましてはツイッターに書いたとおり。とにかくエネルギッシュで迫力満点(≧w≦)立ち回りのシーンなどもあったのがちょっと意外だった。クライマックスの独白、「俺はなぜ生まれた…俺はなぜ生きた…俺は何だったんだ」(←間違ってるかも。。すみません)の時、場内も静まり返って息もできないような静謐な空間でしたね。「尊い」という感じだった。私は1回しか観られなかったのが残念。でも強く印象に残りました。
ツイ:それにしても今、公演日程を見返してみて、コクーンの長丁場ぶりに驚愕を禁じ得ない。。観劇を終えた今、実感として心から驚く。。三宅さんよく喉もったね!!(@_@)1日2公演の日もあるし最後のほうとか喉ボロボロではなかったの?? 喉から出してる声じゃないから喉は大丈夫ってことかしら。。
ツイ:三宅さんは腹から出してる声だなぁとは思った。1公演終わったらすごくお腹すきそうな(笑)聞いてて安心して委ねられる声というか。あと顔ヂカラもすごかった。顔全体でしゃべってるみたいな感じだった。総じて迫力すごかったわ。
後日付記:声、ほんとにいいなぁと思いました。声質そのものという意味でも、努力の跡という意味でも。出してる三宅さんは大変だろうけど、ずっと聞いていたかった。悪役で獣の声だったけど、ずっと聞いていたい安心感がありましたよ(^w^)
ツイ:音楽もすごいよかった。生演奏。ピットが舞台上にあって演奏の様子が見えてるのもすごく良い。
後日付記:「ピット」とは言わないのかな?なんかそういう箱状になってたわけではなくて、舞台上の向かって左の前側に、バイオリン、ギター、マニピュレーターのお三方が椅子に座ってらして、劇中曲を奏でておられました。バイオリンの金子飛鳥さんは立って演奏してた時もあった気がする(間違ってたらすみません)役者の皆さんのお芝居を観るその合間合間に、音楽を演奏されている方々の様子も見ることができたのが興味深かったです。
音楽に関してもう少し。冒頭のあたりで、カサラが歌に乗せての語りを披露し始めた時、「あれ、ミュージカルだったんだっけ…?」とドキドキした(笑)でもそういうわけではなかった。カサラは巫女だから、言葉を伝える手段の1つとして歌があるのでした。新妻さんの声すごく張りがあってきれいだった。4人のコロスの皆さんの歌も迫力あった。そういえば、冒頭、コロスの皆さんの群舞に目を奪われていたら、いつの間にかイエヒラ他一同が舞台上に出てきていて驚いた(笑)結末が初めに語られるという構成でしたよね。みんな死んでしまうのか…と思うと冒頭からちょっと悲しくなりました。
あと観劇の合間(休憩中)と終演直後のツイートを再録。
ツイ:幕間休憩。うーんすごい迫力。そんなに前のほうの列じゃないけどすごい迫力。あとやっぱりここが東北の地だってことが重みを添えてる気がする(他の地の公演観てないから比較はできないけど)
ツイ:駐車場から車出す前に一言。いやーよかった。すごいよかった。熱演。作品としても興味深いし面白かった。後刻またあらためて。
ツイ:カーテンコール3回かなと思ったら皆さんでもう1回出てきてくださって計4回。4回めの時に愛之助さんからご挨拶。8月のコクーンから始まって、登山のように回を重ね(言い回し等はちょっと違うかも)、本日、岩手で、頂上を迎えることができました!と(「頂上」のジェスチャー付き)
後日付記:カーテンコールは5回っていうツイートも見かけた。4回っていうのが間違いだったらすみません<(_
_)> 3回目の時から場内スタオベ。わたくしも(*^▽^*)
ツイ:最終公演、皆さんこんなにたくさん来てくださって、本当にありがとうございました!みたいなこと言ってて、えっ愛之助さんもしや今日がラストだと思ってないよね??と一瞬思ったけど、その後に「明日(みょうにち)、千秋楽!あと1回!」と続いたので、あーよかったと安心しました(笑)
ツイ:三宅さんはカーテンコールの時は、ボロボロ雑兵の格好じゃなくて最初のちゃんとした衣装で、パンダ目みたいな黒メイクも取ったナチュラルフェイスでご登場。はぁあぁ〜素敵(←腑抜け)
お辞儀の時の手の置き方(腿の上)も超素敵。場内スタオベ&万雷の拍手。無論私も(≧▽≦)
後日付記:↑そしてこの後、一時的に深刻なロス状態に陥るのであった(-w-)1公演しか観ないっていうのも考えものですね。でも今までにも三宅さんの出演舞台で1回しか観なかったっていうのはいくつもあったけどなぁ。。やはりこの舞台の残す印象の強さと、あと、コンサートというものがしばらくない(これまでもこの後も)っていうことから来るロス症状だったかと思います。。症状改善にはお早めの次なるご来臨を切に(-人-)(←だがそれは中毒または依存症状を引き起こすとも言う。。苦笑)
後日付記:最後に…
物語のラスト、コロスの皆さんの姿が消えた後、4人それぞれがいたその跡に、
←こんな感じの植物が1本ずつ、つまり舞台上に4本、生えてましたよね。花は咲いてなくて緑の葉だけが付いてたけど、形(雰囲気)としてこんな感じの植物だったと思います。金色(こんじき)の穏やかな色と、このささやかな緑の萌芽、これらが、傷ついた土地に生まれた「希望」「未来」の象徴なんだなと思いました。あと、個人的には、コロスの4人の皆さんへの労いの緑のようにも思えた。。仕事の幅と量という意味で最も大変だったのがこの4人の皆さんだったのではなかろうか。縁の下の力持ちにもほどがあるって感じでしたよね。とても面白く興味深く観させていただきました。本当にお疲れ様でした(^w^)旦~~
それと、これも個人的にですが、現世でもがき苦しみ求めながら死んでいったイエヒラの魂が、平泉・毛越寺の浄土庭園のような静かで美しい天上で、ささやかな花をつけて心穏やかに佇んでいますようにと願ってやみません
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