back →     home →         




『 血は立ったまま眠っている 』
2010年2月8日(月)  at Bunkamuraシアターコクーン
 席は1階K列の右ブロック・真ん中寄り。見やすかったです。
 この日は夜公演のみの日でした。開演前、席についてパンフを読んでいると、隣の席に座ってるお嬢さん達の話が聞こえてくる。そこから察するに、ステージ奥の扉(倉庫とか体育館の扉みたいな鉄製?の引き戸の扉)が、いつもは開演時間のだいぶ前から開け放たれているらしい。「いつもは開いてるんだよ。なんで今日開いてないんだろ?夜だから?寒いから?」と1人のお嬢さんが言ってました。つまり扉を開けると外気が入ってくる、外に通じている扉なのですね。
 開演時間の少し前になると、その扉が開けられ、外というか敷地内の駐車場?が丸見えに。駐車場の向こうには道路も見えててそこは完全に外でしたね。開いた扉のすぐ奥を何も知らずに通りかかった作業着姿の人がいて、こっちをふと見てたくさんの観客に見られていることに気づき、すごいびっくりした顔で走り去っていった(笑)場内笑。そうだよねぇ普通に駐車場歩いてる時にまさかそんなことになってるとは思わないよね。。さぞびっくりしたことでしょう(^w^;)
 開演前にパンフ途中まで読みましたが、寺島さんのインタビューで思いっきしネタバレしててびびった(笑)
 で、芝居の冒頭、開いた扉の奥に見える道路から、赤い(赤っぽかったような)大きな旗を持った人々が走ってきて、旗を大きく振り回しながら舞台上に駆け込んでくる。そこからこのお芝居が始まるわけです。建物の外側をも舞台の一部として使うっていうのが私にとっては目新しかったです。あとで友人に聞いたところによると蜷川さんの舞台では常套的らしい。観劇後にパンフの続きを読んだら、寺山演出の芝居でもそういうのがあったようで(駅から劇場に行くまでの道端?でもう芝居の一部が始まっている)、自由で面白いなぁと思いました。
 それでですね。この舞台を観て、私は1つ、ものすごく気になったことがあるんですけども。。剛つん(良)の服は、あれでいいんですか??(^w^;)ズボンはまだいいよーシャツだよシャツ!!←この点に関してはまったくそう思わないという方も多いと思うので、私のごく個人的な感想として読んでいただけると幸いなのですが(というかそれ以外の何物でもないんですが)。。良が着てたあのカーキ色のシャツ、パンフに載ってたリハ風景で着てるシャツと同じなのかな?いやもっと細身のミリタリーっぽいシャツのように見えたんだけど違うのかな?つまりですねー何が言いたいのかと申しますと、1960年の17歳の自動車修理工であるはずの「良」が、おしゃれな剛つんにしか見えなかった。ということなのです。まわりの人々(他のキャストさん達)の服装はちゃんと時代設定に沿ってるものだったからよけいに。。不良少女さん達の服とかはちょっとオーバーにデフォルメしてたと思いますが、それでもテイストとしてずれてなかったよね。窪塚君(灰男)の愚連隊ふうな格好とか、夏美の白い綿レースのワンピース+白いサンダルとか、朝鮮人の彼のシャツとかがすごいよかった(時代感出てた)だけに、そんな中にあってただ1人剛つんだけが”剛つん”だったというか。。昨年のカミコンで、ワッペンとかエンブレムとかいっぱい付いてたシャツありましたよね、あれとまったくシルエットが同じな感じに見えて、「なんで剛つんだけ”剛つん”なの。。」というある種許し難い思いが満ち満ちて、最初まったくこの舞台になじめませんでした。(たぶんそうでなくてもなじめなかったと思うけどね。このことについては後述します。)パンフの個人ページで着てるみたいなさー白の薄汚れたシャツとか、あんな感じだったらよかったのに!!なんでそういうのじゃないの?誰がNG出してんの??なんかずっと昔のドラマで三宅さん=てるちゃんの弟(なつかしい)の髪型に憤ったことを思い出しました。大正時代の話なのに普段の三宅さんと同じでどうすんの!!って。これかなりずっと昔だと思うけど、その頃から彼らを取り巻く環境は変わってないんだなぁ。。とある種がっかりしたり(-w-;)演じてる彼らがどうって言うよりまわりの問題ですよねこれ。誰だ剛つんの足引っ張ってんのは!!すごいもったいない(-w-;)と思いましたが、でもこういうふうに思うのって、「当時の服装を”中途半端に“知っている」という層だけですよね。きっと。1960年という時代は私はまだ生まれてないので直接的に知っているわけではなく、当時の服装にしても映像だったり本だったりで間接的に”中途半端に”知ってるわけですが、それすらなく当時のことを全く(ほとんど)知らない層にとっては特に問題ないことなのだと思います。また逆に、これはパンフを読んで思ったことですが、蜷川さんを始めとして当時を直接知っている、1960年という時代を実際に生きていた人達にとっては、劇中の人物がどんな服装をしていようが眼目はそこにはないってことが自明であるというか、入り口としてそこは問題にはならないんでしょうね。たぶん。やはり、私のように”中途半端に”知識としての入り口しか持たない層にとっては、登場人物の服装というのは「入り口」として必要なんだなぁと。かように思った次第です。
 と・い・う・か・私がこだわりすぎるだけなんでしょうね(^w^;)おそらく。知識として持ってる層でも気にせず入っていける人のほうが大多数なのかもしれません。あーすみませんね心が狭くて(こう言ってふてくされるところがまさに心が狭い)繰り返しになりますが単なる一個人の感想ですのでご了承くださいませ。こんなふうに思って観てた奴もいるんだな〜ということで。でもあのシャツ自体はおしゃれなものじゃなくてどこにでもあるような冴えない感じのものだったのかもしれないなぁ、だとすればそういうのを着てすらかっこよく見えてしまう剛つんの資質が災いしてるのか。。うーん。。だったらやっぱりそう見えないようにしてほしかったなぁ!もっと汚れてる感じのものとか、ほんとに着てる人が冴えなく見えるようなものを着せてほしかったなぁ!!と思います。←めっさファン的見え方なので一般の観客さんは別にそうは感じなかったのかもしれないけどね(^w^;)
 舞台の内容について。
 寺山作品は以前、だいぶ昔ですが文庫で2冊ほど読んだことはあり、その時に全くと言っていいほどなじめなかったので(^w^;)先ほども書きましたがこの舞台を観て最初全くなじめなかったのも道理なのかなーと。観劇中もそう思いつつ観ておりました。「きれいは汚い、汚いはきれい」という言葉も劇中に出てきてましたが(これの出典はマクベスだったのか〜と調べてみて初めて知る)、最初は、「汚いものを、汚いものを使って表してる」感じがして、それってすごい普通だし…と思って全然、私の好きなタイプのものではないなぁと思いながら観てました。あと競馬の馬とかリンゴが出てくるあたりは寺山だなーと。そういえば「立ったまま眠っている」っていうのも馬から来てるのかなーとか(馬は立ったまま眠る習性のある動物です)そういう瑣末なことだけを追って観てる感じでしたが、馬というのが立って眠る動物ならば人間というのは慣れる動物でして、先ほどの服装問題?にもだんだん慣れてきて(笑)徐々にストーリーにも入って観れるようになりました。※「立ったまま眠っている」についてはパンフを読むと「パリは立ったまま眠っている」っていうのが元ネタのようですが、寺山がこの「パリは立ったまま眠っている」という言葉を目にした時、きっと少なからず「馬」と結びつけて考えたりしたんじゃないかな〜と、確かな根拠はないですが何となくそう思ったりしています。
 初めのうちは灰男が主人公なのかと思うような感じの話でしたが、物語が進むに従って良にスポットが当たる感じになってきてましたね。良は「ちょっと足りない子」として描かれてましたよね、それを観てて私もかなり身につまされるというかかわいそうで見てられないというか、そんな思いで観てました。私も常々自分のことをちょっと(かなり?)足りないと思ってますし、そういうふうなことを人から言われたこともあるので。。なんかあの「英雄視される(だろう)自分に憧れちゃう」みたいな感じはもうまさに耳が痛いというか(笑)見てて顔真っ赤っ赤になっちゃうぐらいの感じでした。私もそういうとこあるからなぁ。。あー恥ずかし。でもこのあたりは例えばパンフには「純粋でまっすぐ」みたいな捉え方で書かれてたりするし、純粋と捉えるか、足りないと捉えるか、はたまた別の捉え方をするかっていうのは十人十色なのかもしれません。私のことに関して言えば間違いなく”足りない”んだと思いますけどね。。時々ものすごく「足りないなぁ…(泣)」と思うことがありますね。なんかそんな内省?までもしてしまうというか、このあたりは観ててすごく「暴かれてる」感じがしました。このへんは面白かったです。
 あと、舞台上の上手側と下手側で、違うストーリーが同時進行していくっていうのは、たぶん初演の当時とかは画期的だったのかもしれませんね。私はというと『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という本でそういう手法?は経験済みでした(でも発表された時間軸で言ったら寺山のほうがだいぶ前だけどね)物語が進んでいくと二つの世界がちょっとだけ接点を持つっていうとこも似てるなぁと思いました。でもそういう手法を舞台上でやるっていうのは初めて見たので、なるほどー舞台上でやるとこういうふうになるのかー、じゃあ『世界の終りと〜』もこういうふうに舞台化できるのかもな〜と思いながら観てました(なんかいちいちずれてる感想ですみません。。)舞台終盤で、今まで上手側にあった床屋の大きな鏡が、ステージ中央に持ってこられて、しかも客席側にその大きな鏡を向けられるので、観客は席に座ってる自分達の姿が不意に目に飛び込んでくるわけです。私の席は鏡に映るような場所ではなかったけど、それでもなんかドキッとしましたね。さっきの「暴かれる」っていう感覚に通ずるものがありました。見ようと思ってないとこに半ば無理やり自分の姿を見せられると、そういう感覚を抱くんですね。ここも面白かったです。建物の外を使ったり鏡を使ったり、自由でダイナミックですよね。面白いなぁ。個人的にこの舞台はけっこうそういうところに惹かれました。
 キャストさん達について。
 剛つんは先般の服装のことを除けば、良というキャラクターには合っててよかったのではないかと思います。声がさぁ少年っぽくてよいよね。。長台詞のとこがあったと思うけど、声と抑揚に聞き惚れてました(*・w・*)終盤の「La liberté...」のあたりは絞り出すように切なくてこれまたよかったし。なんかつい最近読んだ記事で(W誌だっけかな?)剛つんはすっかり舞台に開眼?したみたいなこと言ってたので、また次の作品も今から楽しみ楽しみ(^w^)
 窪塚君は舞台上で見映えがしますね〜!何というか見応えあるなぁと思いました。そういえば灰男と夏美のシーンで、撃たれて倒れた夏美、そこにキスする灰男、そして灰男(の口)が夏美の口から赤い帯のようなリボンのようなものを引き出しますよね、あれって何を表してるんですかね?私は「…内臓?」とずれたことをまた思ったのですが(^w^;)「血」じゃないかという友人の意見には「なるほど〜!」と思いました。それも含めて観た人の解釈にまかせるってことなんでしょうかね。あの赤い帯がこの公演ではうまく寺島さんの口から引き出せなくて、途中で窪塚君があきらめて手で取って舞台上に投げつけるみたいな感じにしてました。うまく出てこなくて云々は観劇後に友人から聞いて知ったのですが、観てた時は全くそうだとは思わず、そういうシーンなんだと思って(というかそんなことすら思わず)普通に観てました。友人曰く、剛つんの芝居は毎公演一寸のぶれもなく、対して窪塚君の芝居はその時のノリで変わることがあるんだそうです。対照的で面白いですね。。全く別なテイストの作品でまた共演するとこを観てみたいかも。
 カーテンコールの時、3回目ぐらいに剛つん・窪塚君・寺島さんの3人だけが出てきますよね。その時、剛つんを真ん中にして3人で並んで、良がトラックの運転席の屋根の上(だったような)で長台詞を言う時のポーズ。。右手を前!左手は胸に!みたいなポーズ(観た人しかわからないような描写ですみません<(_ _)>)を3人で一斉にしてました。おちゃめな感じでかわいかったな。
 剛つんはもうほんとに、芝居中とそうでない時の顔が違いすぎてびっくりするよね(笑)カーテンコールで客席を見てる時は、実にふわっとした顔をしてますね剛つんは。ソロコンの時の顔だったなあれは。つまり好き〜vなのです(笑)そんな剛つんがかわいくてかっこよし(^w^)
 まとめ。
 いやー考えさせられた舞台でしたね。私の場合は9割がた服装についてでしたが(笑)それもきっかけとして60年代に関連する自分の愛読書をまた繰り返し読んでみたり、パンフを読んで「政治活動を嫌う立場」(そういう立場の存在を初めて知った)の人が書いた本とかも読んでみたいかもーと思ったり、この舞台自体がどうかということよりも、私にとってはそこから派生していろいろ考えたりするところに意義があったように思います。「暴かれ」たりもしたしな。。いやーまいったまいった(独り相撲(^w^;))私にとってはそういう面白さのある舞台でした。
 剛つんに関して言えば、私は荒神以来の剛つん舞台だったので、ああいうファンタジーな役もいいけど今回みたいな現代劇っぽい剛つんもいいなぁと思ったのでした。良という役柄をすっかり自分のものにしてる感じでしたね。ちょっと足りない子の感じ(私がそう感じたというだけですが)、切なくてよかったと思います。
 最後に。。海を見たかった良に捧ぐ。ということでこの壁紙を選びました。(HP内のどこかですでに使ったことのあるものだけどね。)その後、海を見ることはできたんでしょうかね。良は。そう考えるとまた切なくなります。


                    back →     home →